俺は驚いていた。
車の助手席に美沙(みさ)が座っている。
緊張で震えそうになる手でなんとかハンドルを握り込んだ。
「な、なぁ、どうして来てくれたんだ?」
美沙は応えてくれない。
あの頃と同じように、長い髪を弄りながら不機嫌そうに窓の外を眺めている。
連休最終日の道路は混んでいて、車は渋滞に巻き込まれていた。
「…このままじゃ今日中は無理そうだな…」
前の渋滞を見て俺は呟いた。
まぁ、また日を改めれば…
『だめ』
美沙がこっちを向いて睨んでいる。
怖い。
『もう先延ばしにしちゃだめ。相変わらずのヘタレだね』
ごもっともです。
『はぁーあ』
美沙がわざとらしくため息をつく。
『まぁ、あたしも人のこと言えないんだけどさ』
俺は振り向いて美沙に向き直った。
「どういうこと…」
『危ない!!前見て!』
怒られてしまった。
仕方なくハンドルを握り直した瞬間だった。
ドン!!「っ!」
ブレーキを踏み込む。
「何があった?」「どうしたの?」「なにやってんだ!!」
怒号と悲鳴とクラクション音が響いた。
『玉突き事故よ。』
美沙が冷静に言った。
「…みたい…だな」
冷や汗が止まらない。
さっき、美沙に注意されてなかったら、ブレーキが間に合ってなかっただろう。
前方、数台先の車がぶつかったらしい。
『あたしみたいに交通事故なんかになるなよ』
美沙がまた、窓の外を向く。
「もしかして、俺が事故に合わないように戻ってきてくれたのか?」
『…違うわ』
外は相変わらずパニックが続いていた。でも、車内は時が止まったように静かだった。
「じゃあ、どうして?」
『あんたがちゃんと言いに来たから、あたしもちゃんと言わなきゃって思っただけ。あんたの結婚を邪魔する気はない!』
そうだ。俺はこれからプロポーズをしに行く。
美沙の次に好きになった女性に。
だから、あの時の約束を果たしに行ったのだ。
美沙とは高校の同級生だった。お世辞にもパッとしなかった俺は、ハッキリした性格の美沙に憧れた。惹かれていた。
無視されることを覚悟で、初めて声をかけたときも、意外とよく話してくれたことも、『一緒に帰ろう』と約束したことも、よく覚えている。話したいことがあるから、と。
「ごめん、美沙…」
『あんたが謝ることじゃない。あたしが勝手に死んだだけ。』
「そうじゃない!俺が約束を破ったから!一緒に帰っていれば、あんなことには…!」
俺は、下校直前に先生から頼まれた委員会の仕事を断れなかった。
だから、美沙は先に帰って…交通事故にあった。
『でも、あんたはちゃんと会いに来てくれた。』
車内には線香の匂いが残っている。
俺はプロポーズの前に、美沙にあの日、言いたかったことを伝えに行ったのだ。
美沙の墓前に花を添えて。
『だから、あたしもちゃんと言っとかないとって思って。あんたのこと、あたしもー』
今まで見たことのない、安心したような、寂しげな表情だった。
クラクションが鳴る。
はっ、としてハンドルを握ったが、前方は混雑したままだった。
助手席に美沙はいない。
誰が言ったんだろう。
初恋は実らないと。
あの時、すでに2人の願いは叶っていたんだ。
やっぱり、この渋滞を抜けたら、すぐに彼女に会いに行こう。
大切なこの時を逃してしまわないように。
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